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広島高等裁判所岡山支部 昭和35年(ネ)104号 判決 1963年1月28日

控訴人 原告・反訴被告 平井たま

訴訟代理人 森末繁雄

被控訴人 被告・反訴原告 守屋哲

訴訟代理人 植木昇

主文

原判決を左のとおり変更する。

控訴人の請求を棄却する。

被控訴人の反訴請求を棄却する。

訴訟費用は第一、二審共これを二分しその一を控訴人の負担としその余を被控訴人の負担とする。

事実

控訴代理人は「原判決を取消す。原判決添付目録記載の不動産(以下本件不動産と略称)は控訴人の所有であることを確認する。被控訴人は控訴人に対し右不動産について所有権移転登記手続をせよ。被控訴人の反訴請求を棄却する。訴訟費用は第一、二審共被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴代理人は「本件控訴を棄却する。控訴費用は控訴人の負担とする。」との判決及び原判決中被控訴人勝訴部分につき仮執行の宣言を求めた。

当事者双方の事実上の陳述、証拠の提出、援用、認否は控訴代理人において

一  被控訴人の反訴請求に対する抗弁として

(一)  控訴人は本訴請求原因として陳述したとおり、本件不動産中の家屋(以下本件家屋と略称)の所有権を贈与(ただし建坪五坪の居宅については新築)により、仮りに然らずとするも時効により取得したから本件反訴請求は失当である。

(二)  仮りに前項の所有権取得にして認められないとすれば次のとおり主張する。

(い)  控訴人は本件家屋に対し賃借権を有する。

すなわち昭和二四年中控訴人は訴外市橋保治と結婚して本件家屋に同棲し、同所で控訴人の出費をもつて家屋を改造してその名義をもつて軽飲食店を開業し、爾後永年の間専ら控訴人においてその営業上の処置を行つて来たが、右家屋使用の代価という趣旨をもつてその補修及び公租公課の納付も控訴人の営業上の収入によつてなし、このことは、当時被控訴人も充分了解していたところである。そうすると右事実状態の継続するうちに自ら黙示的に被控訴人と訴外市橋保造及び控訴人との間に前者を賃貸人とし後者を共同賃貸借人とし賃料としては右家屋の補修費公租公課を賃借人側が負担することとする期間の定めのない賃貸借契約が本件家屋につき成立したものであり、市橋の死亡により控訴人が単独の賃借人となつたものというべきである。

(ろ)  仮りに右契約が有償のものと認められないとすれば、これを使用貸借と目すべきであつて、控訴人は現に使用貸借による権利ありというべきである。

もつとも本件反訴請求原因としての主張は右使用貸借の解約をする旨の主張を含むとするも、後述(に)のような事情があるから右使用貸借の解約は権利の濫用として許されない。

(は)  更に、控訴人は被控訴人に対し内縁の寡婦としての居住権を有するから本件明渡請求を拒み得るものである。

すなわち、内縁は社会的に承認された夫婦共同生活体である点において法律婚と異るものでなく、これを準婚的法律関係として理解し得るところ、内縁の配偶者の一方の死亡後といえどもなおそれまでに夫婦相協力して形成された準婚的共同生活体についてはこれを一挙に崩壊させることは合理的でないから生存配偶者が従前と同様の生活関係を維持せんと欲する場合は必要な範囲で右生活関係の存続を肯定することが法の精神であるといわねばならない。(長崎地裁昭和三六・六・三〇判決参照)そうすれば控訴人が本訴請求原因として主張した身分関係によれば市橋保治は居住権を有しており、また更に控訴人は市橋の内縁の妻として市橋死亡後も従前と同様の生活関係を維持せんと欲しているのであるから、従前の生活関係の存続が法律上肯定せられることとなるべく、従つて被控訴人は控訴人に対し従前どおり本件不動産に居住せしめる義務ありというべきである。

(に)  仮りに然らずとするも、本件反訴にかかる家屋明渡請求は権利の濫用である。

訴外守屋益治の妻とめは大正八年夫と死別し寡婦として生活中大正一〇年頃より訴外市橋保治と夫婦関係を生じ本件家屋に同棲していたが、右益治ととめとの養子で当時五歳位であつた被控訴人は爾後市橋保治を父親として同人ととめとの生活保護のもとに成長した。その後守屋とめは昭和二一年八月一二日この家屋で市橋の看護のもとに死亡した。

戦時中被控訴人は一時尼ケ崎に行き家庭を持つていたことがあるが、とめ死亡後は被控訴人は又尼ケ崎に行つたので市橋はこの家屋で孤独で自転車預りをしていたところ、時代の影響等のためこの営業のみでは生活ができなくなり、しかも同人は片腕のない不具者であり、かつ老令でもあり独身では到底生活の見込がたたず生活の建直しを考えていた。

たまたま控訴人も夫と別れ独身生活をしていたが家屋の立退を迫られる等独身生活も至難となつていたところ、控訴人の身辺を気遣つていた従妹の勧めにより右市橋と夫婦となることとなつたが市橋も控訴人に対しこの家屋は自分の所有であるといい控訴人も家屋の立退要求等に悩まされていた折柄とて市橋の言を軽信し将来この家屋に安住できることを条件に再婚に踏み切つたのである。

爾来控訴人は市橋と夫婦としてこの家に同棲して来たところ、自転車預りではもう生活して行けないことを悟り、市橋と相談のうえ自転車預りをやめてこの家屋で軽飲食店をやることとしたが、この家屋が非常に古い建築でこのままでは市より軽飲食店の許可が降りないことが判つたので控訴人自身の貯金でこの家屋を改造し、控訴人の営業名義で軽飲食店の許可を受け、市橋は老令と不具とのためもうこの店の手伝いもできないから一切の営業上の処置は全部控訴人がなし、懸命に働いて市橋を養い、この家屋を維持し、市橋は遊んで静かにこれを見ているという状態であつた。

この間控訴人は店の改造をしその後は裏に五坪の改築をしたものである。

市橋は妻(控訴人)の好意に常に感激しており、この家屋を死後は控訴人の好意に酬ゆるために贈与する考えであり、常にそのことを控訴人及びその周囲の人達に打ち明けていた。現に病気となり死期の迫つた頃にも内田茂夫、平井にもそのことを打明けてその処置を一任したが、何分無学な市橋及び控訴人であり法的知識に乏しかつたので控訴人が有効に贈与を受けたものと信じていたものである。

以上を要約し、かつ、ふえんすれば、夫益治に死別し幼い被控訴人を抱えて戦時中の生活に悩んでいた守屋とめが不具者である市橋に生活の保護と女としての救を求めて同棲し、被控訴人は不具者である市橋が働いて得た収入により養育を受けて生長し、とめ死亡後は市橋は老令のため生活を維持できなくなり、これを維持するため控訴人と結婚し、控訴人から扶養を受けるに至つたのである。控訴人は市橋を養いながら腐朽のため倒壊に瀕している右家屋を自己の所有と信ずるが故に修繕し倒壊を防ぎ、かつ現に充分の保存管理に誠意をもつて尽しているのである。

しかるに被控訴人は、もし恩義を知るなら市橋を引取つて扶養すべき立場にあるのに、その恩人というべき市橋が死去するまで殊に病気の通知さえも受けながら、一度も来訪せず、市橋に対しても全く小遣を与えず、家屋修理もせずに控訴人において家屋修理や市橋の扶養をするに任せておき、市橋の死後も控訴人を養う破目となるのをおそれ、葬儀にも妻を代理で参列させ、自らは参列せず、夫を喪い老後の非嘆と将来の生活の不安とに暮れている控訴人に対し、その懇願を排し、自己が右家屋の所有者であることを理由に、理不尽にも右家屋からの立退を迫ることに専念し、そのため様々のいやがらせに終始し、控訴人の老後の生活を脅しているものである。

被控訴人は尼ケ崎市において永年生活を築いており、この家屋がなくても生活してゆくことに何らの不安もないのに反し、控訴人は従来有していた貯金と市橋との同棲中に得た収入は本件家屋修理と営業維持に費し、少しの貯蓄もなく、この家屋と営業を離れては老後の生活ができない事情にある。

叙上の事情の下における被控訴人の右行動は常識ある者のなし得るところではなく、被控訴人の請求が法律の名の下に保護されることは人倫の上からも許されないところである。故に被控訴人の行為は信義誠実に反するものであり、この明渡請求は権利の濫用であるから許されない。

(ほ)  仮りに控訴人に本件家屋明渡義務ありとすれば、控訴人が既に支払つたことの建築経費一一九、五六五円は現在もその利益が現存しているのでその価格の償還を求め、本件家屋の表側の部分について控訴人のした造作修理費等が約八〇、〇〇〇円でありこれも利益が現存しているからその償還を求め得べく、右は本件家屋に関して生じた債権であるからその弁済を受けるまで右家屋を留置する。

と述べ

二  甲第一ないし第五号証を提出し、証人平井たき同内田茂夫同平井寿恵同香山清一郎同藤岡秋男同福原正同末沢源太郎同田渕石松同河原てつ同上野美枝子同河原太津彦同増成充夫同矢本晴吉同高羅正類の各証言控訴本人尋問の結果を援用し

被控訴代理人において

一  控訴人の前記主張に対し

(一)  控訴人の本件家屋を贈与または新築により仮りに然らずとするも時効により取得した旨の主張を否認する。仮りに守屋とめにおいて被控訴人の法定代理人として市橋保治に対し右家屋を贈与したとしても、これは市橋の歓心を買うため未成年者たる被控訴人の唯一の資産を処分したものであつて、利害相反行為または親権の濫用として無効である。

裏座敷については市橋保治が改修に着手したところ、老朽していたため新築同様となつたのであるが、その取毀した建物と現存の建物とは同一性を失わないものであつて、市橋において費用償還を求めるは格別、所有権を取得するものではない。

(二)  控訴人主張事実(二)の(い)ないし(ほ)を否認する。

控訴人は権利濫用を主張するけれども、控訴人こそ不当な理由を述べて所有権を主張して被控訴人の権利を否定するほか、仮処分により被控訴人夫婦の本件家屋に対する立入を禁止し、祖先の位牌を祭ることも持ち出すことも禁じているのであつて、控訴人のかかる行為こそ人道に反するものといわねばならない。そのため老朽の甚だしい本件建物の修理補強もできない始末である。しかも被控訴人は控訴人の妨害を排除し津山市に帰つて自ら本件建物を使用しなければ生計維持が苦しいのである。

かかる場合被控訴人が本件家屋の明渡を求めることは信義則に反するものでも権利濫用でもない。

仮りに控訴人が本件家屋の改造建築等のためにその主張の金額を支出したとしてもそのうち本件家屋の表側の部分についての費用は建物の通常の用途外である営業用のためのものであるから償還請求はできないものである。その余の費用一一九、五六五円については、控訴人は本件建物を遅くも昭和三四年一〇月三〇日以降法律上の原因なくして占拠して賃料相当額月三、〇〇〇円の割合による昭和三七年九月三〇日まで合計金一〇五、〇〇〇円を被控訴人の損失において利得しており、被控訴人は同額の不当利得返還請求権を有するので、本訴(昭和三七年一〇月一九日の口頭弁論期日)においてこれと対当額において相殺をする。しかして右差額金一四、五六五円は控訴人が建築後自ら使用したことによる消却減とみるべきであるから、被控訴人において償還の要はないものである。従つて控訴人の留置権行使は許されない。

と述べ

二  被控訴本人尋問の結果を援用し、甲第一ないし第四号証の成立は不知、同第五号証の成立を認めると述べたほか、原判決事実摘示のとおりであるから、これを引用する。

理由

本件不動産(ただし建坪五坪の居宅を除く。)が訴外亡守屋益治の所有に属していたこと大正八年一〇月七日同人が死亡し被控訴人がその家督相続をしたことは当事者間に争いがない。

控訴人は大正一〇年四月頃被控訴人の親権者である守屋とめが被控訴人を代理して右不動産を訴外市橋保治に贈与した旨主張するけれども、本件にあらわれた全立証によるも右事実を認め難い。

そうすると仮りに後日市橋が控訴人に対し右不動産を贈与する旨を約したとしても控訴人は右不動産の所有権を取得するに由なきものといわねばならない。

よつて本件不動産を贈与により取得した旨の控訴人主張は失当である。

ついで本件不動産中建坪五坪の居宅につき新築により所有権を取得した旨の控訴人主張につき判断する。

元来既存の家屋を一旦取り壊し動産とした後にその跡地に大部分新規の材料を用いて家屋を新築した場合は旧来の家屋は一旦消滅し新家屋が建築せられたものであるから、これを建築した者において新家屋の所有権を取得するものというべきであるが、本件における右居宅がこれを一旦取り壊し動産とした後、新に建築せられたものであることについては、これに沿う如くみえる当審証人河原てつ同河原太津彦同増成充夫同香山清一郎同福原正同内田茂夫同平井寿恵同平井たきの各証言はにわかに措信し難く、その他右事実を認むべき証拠がなくかえつて当審における末沢源太郎の証言控訴本人の供述によれば、工事にあたつた訴外末沢源太郎において当初は修繕をするつもりで次次と家屋の部分を新材に変えていたところ、それが重つて結局新築同様になつたものであつて、新築ではなく、むしろ新築にも比すべき大修繕に属するものであることを窺い知ることができるから、新築により所有権を取得した旨の控訴人の主張は失当であり排斥を免れない。

次に時効取得の主張につき審究する。

控訴人は大正一〇年四月または昭和二一年以降市橋保治において本件不動産につき所有の意思をもつて時効の要件を具備した占有をなし、かつ昭和三三年控訴人において右占有を承継したから一〇年または二〇年の取得時効が完成した旨主張するが、市橋において訴外守屋とめより本件不動産の贈与を受けたことの認められないことは前記のとおりであり、このことに成立に争いのない乙第一号証同第二号証の一、二同第四号証の一、二当審証人平井たき同内田茂夫の各証言弁論の全趣旨を綜合すれば、右保治は本件不動産につき自ら所有者であるとは考えておらず管理者の意思をもつて占有していたものと認めうるから、右時効の主張は採用しえない。

以上のとおりであるから、本件不動産につき控訴人が所有権を取得したことは認め難く、これを前提として右不動産につき所有権確認及び所有権移転登記手続を求める控訴人の本訴請求は失当であるから排斥を免れない。

次いで被控訴人の反訴請求につき審究する。

本件家屋が亡守屋益治の所有に属していたこと被控訴人が右益治の家督を相続したことは前記のとおりで、右家屋を控訴人が現に占拠していることは争いがないところ、控訴人は抗弁として右家屋につき自ら所有権を取得した旨の主張をするが、この主張はいずれも失当であること本訴請求についての判断として説示したとおりである。

よつて次に賃借権の抗弁につき審究する。

昭和二四年中控訴人が訴外市橋保治と結婚して本件家屋に同棲し同所で控訴人の出費をもつて家屋を改造しその名義をもつて軽飲食店を開業し爾後永年の間専ら控訴人においてその営業上の処置を行つて来たこと、右家屋の補修及び公租公課の納付も控訴人の営業上の収入によつてしたことは後記認定のとおりであるが、それが家屋使用の代償としてなされていたこと、及び被控訴人がこれを了解していたということについてはこれを認めるに足る証拠がないから、黙示的の賃貸借契約が成立したものと認め難く、その他の機会に賃貸借契約が成立したと認むべき何らの主張立証も存しないから、この点に関する控訴人の主張は採用し難い。

更に控訴人は仮りに右契約が有償のものと認められないとすればこれを使用貸借と目すべきである旨主張するけれども、市橋または控訴人が右家屋を使用しこれに対し所有者たる被控訴人において相当長年月にわたり格別異議も述べなかつたことが仮りに認め得るとしてもこのことにより黙示的に使用貸借契約が成立したものとは認め難く、その他明示または黙示の使用貸借が成立したと認むべき何らの資料もないから、この抗弁もまた採用し難い。

次いで控訴人は内縁の寡婦としての居住権ありと主張するからこの点につき検討する。

内縁の寡婦は内縁の夫の生前における所有家屋につき居住権を有し当該内縁の夫の相続人の所有権に基く家屋明渡請求を右居住権により拒否しうるかという問題については、これを積極に解する裁判例(長崎地裁昭和三六、六、三〇判決)も存するのであるが、内縁の寡婦が当該家屋につき居住を内容とする何らかの本権を有するということについてはこれを肯定すべき成法上の根拠を欠くものであつて、立法論としてはともかく、解釈論としてはこれを肯定するに躊躇せざるを得ず、むしろその居住しうる権利の存在するものは否定し、家屋所有者のなす所有権の行使が権利の濫用となるか否かの問題として考察するを相当と解するものである。殊に本件においては、本件家屋(前記建坪五坪の分を除く)は控訴人の内縁の夫市橋の所有していたものではなく、右市橋の内縁の妻である守屋とめの亡夫の所有であつたもので、相当に右家屋の所有権との関係が稀薄であるから、いずれにするも、前記の内縁の寡婦の居住権の理論は本件に適用し難い。

次に権利濫用の主張について検討する。

当審証人田渕石松の証言により成立を認める甲第一号証同第三、四号証当審証人末沢源太郎の証言により成立を認める甲第二号証成立に争いのない甲第五号証同乙第二号証の一、二原審及び当審証人平井たき同内田茂夫同河原てつ同上野美枝子同河原太津彦当審証人香山清一郎同増成充夫同福原正同平井寿恵同末沢源太郎同藤岡秋男同田渕石松同高羅正類の各証言原審証人守屋登美子の証言の一部原審及び当審における控訴本人の供述本件口頭弁論の全趣旨及び本件訴訟の経過を綜合すれば、次の事実を認めることができる。

被控訴人は訴外亡守屋益治及び同人妻亡とめの養子である。

右とめは大正八年夫益治に死別し、寡婦の身で、幼少の被控訴人を抱えて生活してゆけないので、大正一〇年頃訴外市橋保治と結婚し、内縁の夫婦として本件家屋に同棲し、市橋の稼働により生計を維持したが、当時五歳位であつた被控訴人は右保治から、他家の子もうらやむ程に愛せられ、骨肉を分けた父子同様懇篤な養育を受けて成長した。その後昭和二一年八月一二日とめはこの家屋で保治の看護のもとに死亡した。

戦時中被控訴人は一時尼ケ崎に行き家庭を持つていたことがあるが、とめ死亡後は被控訴人は又尼ケ崎に行つたので、市橋はこの家屋で孤独で自転車預り業をしていたところ、時代の影響等のためこの営業のみでは生活ができなくなり、しかも同人は片腕のない不具者であり、かつ老令のため、独身では到底生活の見込がたたず、生活の打開に焦慮していた。

たまたま控訴人も夫と別れ独身生活をしていたが、家屋の立退を迫られる等独身生活も至難となつていたところ、その身辺を気遣つていた人の仲介により右市橋保治と夫婦になることになつたが、市橋は本件家屋は自分の所有であるといい控訴人も家屋立退要求に悩まされていた折柄とて右市橋の言を軽信し、将来この家屋に安住できることを条件に再婚に踏み切り、昭和二四年内縁関係を結び、爾来市橋と夫婦としてこの家に同棲をした。

ところで控訴人は自転車預りでは最早生計の維持ができないことを悟り、市橋と相談のうえ自転車預りをやめて、この家屋で軽飲食店を初めることとしたが、非常に古い建築のためこのままでは市より軽飲食店の許可が降りないことが判つたので、控訴人自身の貯金でこの家屋を改造し、控訴人の営業名義で軽飲食店の許可を受けたうえ、右営業を開始した。爾来市橋の死亡した昭和三三年に至るまで約一〇年間にわたり、市橋は老令と不具のため店の手伝もろくろくできないので右営業上の処置は殆んど全部控訴人がなし、懸命に立ち働いて細々ながら右飲食店営業を続け、本件家屋の必要な修復をも怠らず、家屋についての公租公課を納入し、かつ妻として市橋に誠実に仕えその面倒をみた。市橋は殆んど働かず、控訴人より小遣銭を貰い無為に時を過していることが多かつた。

市橋は妻(控訴人)の誠意に常に感謝すると共に、これが報酬をも受けず、また何一つ資産もなくして老いる妻の将来を思い、妻の好意に対する謝礼と自分の死後に妻の生活の資とするため本件不動産を妻に贈与する考えでおり、しばしばそのことを控訴人及びその周囲の人達に打ち明け、その手続方を考慮していたが、昭和三三年病を得て死期の迫るのを察知するや、病床において、右贈与及びこれに伴う登記手続方を焦り、このため必要な被控訴人との交渉のため被控訴人の来訪を待ち望むと共に、右不動産取得のための資金の調達をも計つたが、結局成功せずに、心を残して同年五月一〇日この世を去つた。

しかるところ、被控訴人は、平素市橋に対して全く小遣を与えず家屋修理もせず控訴人において市橋の扶養や家屋修理をするに任せておき、市橋の最期に直面しても、市橋の重態の旨の通知を受けながら、右のような本件不動産贈与方の交渉を受けるおそれあることを察知したためか、遂に一度も市橋の病床を見舞わず、また死亡通知を受けながら市橋の葬式にも参列しなかつた。

その後間もなく被控訴人側において控訴人に対し本件家屋よりの立退を迫り、控訴人において引続き居住させて貰いたい旨の懇請をしたのにこれを拒絶し、亡市橋の四九日の法事の席上参列者達の面前で立退を要求し、本件家屋の戸口の表札を掛替え、或は戸内に封印と称し紙片を貼付する等種々のいやがらせをして控訴人の生活を脅し、次いで控訴人の本訴請求に対し昭和三四年一〇月二六日本件家屋明渡及びその不法占拠による損害金の支払を求める本件反訴を提起したのである。

被控訴人は尼ケ崎市において永年生活を築いている者であつて、居住のためには本件家屋を必要としないものである。(前記乙第二号証によつても本件家屋につき所有名義を有する被控訴人において他に売却方交渉したことを窺い知ることができる。)

しかも被控訴人は本件家屋を処分して金銭に換えなければならぬという差し迫つた事情にありともみられない。

一方、控訴人は従来有していた貯金と市橋との同棲中に得た収入は本件家屋修理と営業維持に費し、貯蓄は殆んど無く、また子も無い六四歳の老寡婦であつて、この家屋と営業を離れては老後の生活ができない事情にある。

以上のとおり認定することができる。

右認定に反する原審証人守屋登美子(前記措信する部分を除く。)同江見うめの各証言原審及び当審における被控訴本人の供述は措信し難く、乙第四号各証同五号各証をもつてしては右認定を左右するに足らず、他に右認定を覆えすに足る何らの証拠もない。

以上によれば、被控訴人はその五歳の頃より養母守屋とめとその内縁の夫市橋保治とに養育せられて成人し(戦時中尼ケ崎で家庭を持つに至つてから別居した。)、被控訴人はその間不具者たる市橋が働いて得た収入により育てられて生長したのであるが、とめ死亡後は市橋はようやく老令のため控訴人と結婚し同人から扶養を受けるに至り、控訴人は誠意をもつて市橋の死亡時に至るまで尽したのであつて、被控訴人は、すべからく市橋を引取つて養育すべき立場にあり、かつ、同人の内縁の妻としてその面倒を永年みてくれた控訴人に感謝しこれを厚遇すべきであるのに、市橋が死亡するまで一度も来訪せず、同人に対して全く小遣を与えず家屋修繕もせずに、控訴人において家屋修理や、市橋の扶養をするに任せておき、市橋の死後夫を失い悲嘆に暮れ老後の不安におののいている控訴人に対しその懇願を排し、自己が家屋所有者であり控訴人には形式上これに対抗すべき権原のないことを理由に、理不尽にも右家屋からの立退を迫ることに専念し、様々のいやがらせを行い控訴人の老後の生活を脅かしているものというベく、これに双方の生活状態境遇を綜合するときは、被控訴人の右行動は人倫に反し、法律が真に所有権を人に与えてこれを保護せんとする目的を逸脱するものであつて、権利の濫用であるというべきであり、従つて本件反訴請求は許されないものといわねばならない。

もつとも、控訴人において被控訴人を相手取り本件家屋に関し仮処分をなし、かつ、昭和三三年七月二日進んで本件家屋につき所有権存在確認及び移転登記を求める本件訴訟を提起したことは弁論の全趣旨及び訴訟の経過に徴し明白であるけれども、前記認定事実によれば、市橋保治がしばしば本件不動産を控訴人に贈与する考えである旨を控訴人その他の者に申向けていたことから、法律知識の未熟な控訴人としてはその頃控訴人において市橋より有効に本件不動産の贈与を受けその所有権を取得したものと誤解したことを窺い知ることができるから、訴訟においてその所有権が自己に存することを主張しこれを前提とする請求をしたとして格別信義に反するものといい難く、また、当時孤独の状態にある控訴人として被控訴人側よりする売却処分明渡要求と種々の攻勢的な策動に対しその保護を裁判所の仮処分並びにこれに続く訴訟提起に求めることは已むを得ないところというべきであつて、これまた信義則違反であるとなし前記権利濫用の判断を動かす資料となすに足りない。なお、被控訴人は立入ができないため本件家屋の修理補強ができない旨主張するが、現に修理補強が必要な状態であることについてはこれを認むべき何らの証拠もない。

そうすると本件家屋に対する所有権に基く明渡の反訴請求は失当であるからこれを棄却すべきであり、更に本件家屋の明渡を求めるのが権利の濫用として排斥せられるものである以上、控訴人の本件家屋の占有には違法性がないものというべく、従つて本件家屋の不法占有を理由として、損害金の支払を求めることも失当として棄却を免れないものである。

以上の理由により、当審の判断と異る原判決を主文のとおり変更し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九六条第八九条を適用し主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 柴原八一 裁判官 柚木淳 裁判官 西内辰樹)

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